CASE 16
30年前の1株5万円で後継者へ売ってよい?―設立時価格のまま売買するケース
「会社を設立したとき、株式は1株5万円でした。後継者へ売るときも、同じ1株5万円でよいでしょうか」
非上場会社の事業承継では、このような相談があります。
今回のケースは、創業者個人が保有する株式を、個人である後継者へ売却する取引です。発行会社による自己株式取得や、後継者が経営する法人への売却ではありません。
創業者が株式を取得したのは約30年前です。設立時の1株当たり払込金額は5万円で、創業者の取得価額の基礎となる金額も1株5万円でした。
創業者と後継者は、今回も1株5万円で売買することを考えていました。
しかし、会社には30年間の利益が蓄積され、資産、負債、収益力及び株主構成も設立時から変わっていました。
確認の結果、設立時の1株5万円を、そのまま現在の売買価格として採用することはできないと判断しました。
このケースでは、1株5万円が何の金額なのかを確認したうえで、現在の税務上の時価と経済価値を計算し、売主と後継者の双方の税務、取引後の持株割合及び事業承継の目的を踏まえて、予定価格を決め直しました。
相談内容―30年前と同じ1株5万円で売りたい
創業者が1株5万円で売りたいと考えた理由は、主に三つありました。
一つ目は、創業者自身が設立時に1株5万円を払い込んでいたことです。
二つ目は、創業者と後継者の双方が1株5万円で合意していたことです。
三つ目は、取得価額と同じ価格で売れば、創業者に大きな譲渡益が生じないと考えたことです。
後継者にとっても、価格が低いほど株式を取得するための資金負担は小さくなります。事業承継を円滑に進めるため、できるだけ低い価格で譲渡したいという意向がありました。
ただし、売主と買主が価格に合意していることと、その価格を税務上も問題なく使用できることは同じではありません。
また、売主に譲渡益が生じないことと、買主に贈与税の問題が生じないことも別です。
そこで、株式譲渡契約を締結する前に、設立時から現在までの会社の変化と、今回の取引条件を確認しました。
結論―1株5万円をそのまま採用しなかった
このケースでは、30年前の1株5万円を、そのまま今回の売買価格として採用しませんでした。
1株5万円という金額が誤っていたからではありません。
その金額は、会社設立時の払込価格としては正しく、創業者の取得価額を確認する資料としても重要でした。
しかし、正しい時点が約30年前です。
会社は設立後も事業を続け、利益又は損失を計上し、資産と負債を変化させます。取引先、従業員、技術、ノウハウ、信用及び収益力も形成されます。
設立時の払込価格には、これらの変化が反映されていません。
したがって、設立時の価格が正しいことだけでは、現在も同じ価格で売買する理由にはならないと判断しました。
今回の予定価格は、現在の税務上の時価と経済価値を確認し、後継者が取得する株式数、取得後の持株割合、支払条件及び事業承継の目的を踏まえて決定しました。
1株5万円は、何のための数字だったのか
最初に、創業者が説明する「1株5万円」が、何を表す金額なのかを確認しました。
確認した資料は、設立時の定款、払込証明書、株主名簿、株券及びその後の株式異動に関する資料です。
その結果、1株5万円は、会社設立時に創業者が会社へ払い込んだ1株当たりの金額であることが分かりました。
創業者は設立時から株式を保有していたため、この金額は創業者の取得価額の基礎にもなっていました。
ただし、設立時の払込価格と売主の取得価額は、今回の売買価格とは役割が異なります。
設立時の払込価格は、設立時に株主が会社へ出資した金額です。
売主の取得価額は、売主が株式を売却したときの譲渡所得を計算するために確認する金額です。
いずれも重要な数字ですが、現在の会社の税務上の時価や経済価値を表す数字ではありません。
このケースでは、1株5万円を「現在の株価」として扱うのではなく、「設立時の出資額及び創業者の取得経緯を確認する数字」として扱いました。
30年間に形成された会社財産を確認した
会社設立時には、株主が払い込んだ資本金が会社財産の中心になります。
しかし、会社が事業を継続して利益を上げれば、その利益の一部が会社内に蓄積されます。
今回の会社でも、設立後の事業活動によって利益が蓄積され、現在の純資産は設立時とは異なる状態になっていました。
そこで、直近3期程度の決算書、最新の試算表、法人税申告書及び勘定科目内訳明細書を確認しました。
特に確認したのは、次の事項です。
- 現在の純資産
- 資本金と利益剰余金
- 現預金
- 借入金その他の負債
- 過去の配当
- 増資、減資、株式分割等の株式異動
- 簿外債務や偶発債務
設立時の1株5万円には、設立後に蓄積された利益は含まれていません。
そのため、1株5万円で売買すると、創業者が約30年間にわたって形成した会社財産を、売買価格に反映しないことになります。
もっとも、現在の帳簿上の純資産を発行済株式数で割った金額が、そのまま今回の売買価格になるわけでもありません。
帳簿価額と現在の時価が異なる資産がある可能性があり、会社の収益力も確認する必要があるためです。
帳簿に表れない含み損益と収益力を確認した
次に、会社が保有する主な資産と負債について、帳簿価額と現在の価値に大きな差がないかを確認しました。
長期間保有している土地や有価証券などには、含み益又は含み損が生じていることがあります。
反対に、回収が難しい売掛金、価値が低下した在庫、将来負担する可能性のある債務などがあれば、帳簿上の純資産をそのまま現在価値として使用できないことがあります。
このケースでは、会社財産を現在の価値に置き換えた場合の時価純資産を確認しました。
さらに、会社の収益力についても確認しました。
主な確認事項は、次のとおりです。
- 直近数年間の売上高と利益
- 一時的な利益又は損失
- 今後の事業計画
- 必要な設備投資
- 借入金の返済
- 主要取引先への依存
- 創業者個人への依存
- 後継者への交代後も維持できる収益
現在の利益が安定しており、後継者への交代後も継続すると見込まれる場合、その収益力は株式の経済価値を検討するうえで重要です。
一方、創業者の営業力や人脈によって生じている利益は、後継者への交代後も同じように続くとは限りません。
そこで、現在の会社財産だけでなく、将来の収益力と事業承継後の変化も踏まえて経済価値を検討しました。
設立時の払込価格、帳簿純資産、時価純資産及び収益力に基づく価値は、それぞれ異なる目的の数字です。
一つの数字だけで今回の売買価格を決めることはしませんでした。
売主に利益が出なくても、後継者に贈与税問題が生じる
創業者は、取得価額と同じ1株5万円で売れば、自分に譲渡益が生じないため、税務上も問題がないと考えていました。
しかし、売主の譲渡所得と、買主の低額譲受けは分けて確認する必要があります。
創業者側では、株式の売却価格から取得費や譲渡費用を差し引いて、株式譲渡所得を計算します。
取得価額と売却価格が同じであれば、その差額を基礎とする譲渡益は生じないことがあります。
一方、後継者側では、現在の時価より著しく低い価格で株式を取得していないかを確認します。
個人が個人から著しく低い価額で財産を取得した場合には、相続税法第7条により、原則として時価と支払価格との差額について、贈与により取得したものとみなされる可能性があります。
後継者が代金を支払っているからといって、必ず贈与税の問題がなくなるわけではありません。
たとえば、現在の税務上の時価が1株5万円を大きく上回っている場合に、後継者が1株5万円だけを支払って取得すれば、その差額が問題になります。
創業者と後継者が合意していることや、事業承継を目的としていることだけで、この問題がなくなるわけでもありません。
そこで、今回の譲渡時点における税務上の時価を確認しました。
取引相場のない株式の税務上の評価は、設立時の払込価格ではなく、会社規模、純資産、利益、配当、株主構成及び取得後の株主区分などに基づいて行います。
特に、後継者が株式を取得した後に、どの株主区分に該当するかを確認しました。
その結果と1株5万円を比較し、後継者側に低額譲受けの問題が生じる可能性を検討しました。
なお、買主が後継者個人ではなく法人である場合や、発行会社が自己株式として買い取る場合には、今回とは異なる課税関係になります。
税務上の時価と経済価値を比較した
今回の売買価格を決めるため、次の数字を比較しました。
※スマートフォンでは、表を横にスクロールしてご覧いただけます。
| 比較した価格 | このケースで確認した目的 |
|---|---|
| 設立時の1株5万円 | 設立時の出資関係を確認する |
| 創業者の取得価額 | 創業者の譲渡所得を計算する |
| 現在の税務上の時価 | 後継者の低額譲受けなどの課税関係を確認する |
| 現在の経済価値 | 現在の会社財産、収益力及び将来性を確認する |
| 過去の株式売買価格 | 過去の取引条件と今回の取引条件を比較する |
| 今回の予定価格 | 今回の当事者と取引条件を踏まえて合意する |
設立時の払込価格と創業者の取得価額は、いずれも1株5万円でした。
しかし、現在の税務上の時価と経済価値は、1株5万円とは異なる結果になりました。
また、税務上の時価と経済価値も、同じ金額ではありませんでした。
税務上の時価は、売主又は買主にどのような課税関係が生じるかを確認するための価額です。
経済価値は、会社の資産、負債、収益力、将来性、取得する株式数及び取得後の権利などから検討する価値です。
税務上の時価を計算したからといって、その金額が当事者間の唯一の売買価格になるわけではありません。
反対に、当事者が自由に売買価格を決めたからといって、税務上の時価を確認しなくてよいわけでもありません。
今回のケースでは、税務上の時価によって課税上の問題を確認し、経済価値によって現在の会社と株式の価値を確認したうえで、実際の取引条件を踏まえて予定価格を決めました。
最終価格と判断過程を記録した
検討の結果、30年前の1株5万円を、そのまま今回の売買価格として採用しませんでした。
最終的に採用した単価は、匿名化のため本記事には記載しません。
ただし、株価算定の結果として示された一つの金額を、そのまま採用したわけでもありません。
今回の価格を選んだ理由を、次の四つに分けて記録しました。
事実関係
- 売主と買主
- 両者の関係
- 売買株式数
- 取引前後の持株割合
- 評価基準日
- 支払方法と支払時期
- 事業承継の目的
比較した価格
- 設立時の払込価格
- 創業者の取得価額
- 現在の税務上の時価
- 現在の経済価値
- 過去の売買価格
- 今回の予定価格
税務上の判断
- 創業者の株式譲渡所得
- 後継者の低額譲受け
- 取得後の株主区分
- 税務上の時価と予定価格との差
- 買主が法人又は発行会社でないこと
価格決定と契約
- 採用した価格の理由
- 他の価格を採用しなかった理由
- 価格交渉の経緯
- 必要な社内手続
- 株式譲渡契約書
- 株主名簿の更新
採用した価格だけでなく、比較した価格と採用しなかった理由も残しました。
これにより、取引後に税務上の時価や売買価格の根拠を確認された場合にも、当時の資料と判断過程を説明できるようにしました。
このケースから分かること
30年前の1株5万円は、設立時の払込価格及び創業者の取得価額を確認するための重要な資料でした。
しかし、約30年間に会社が蓄積した利益、現在の資産と負債、収益力及び事業承継後の見通しは反映されていません。
過去の価格が間違っているのではなく、その価格を使用する目的と時点が異なります。
今回のケースでは、次の三つを分ける必要がありました。
第一に、創業者の取得価額と、現在の売買価格を分けることです。
第二に、売主の譲渡所得と、後継者の低額譲受けを分けることです。
第三に、税務上の時価と、実際の取引価格を分けることです。
売主に譲渡益が生じない価格であっても、後継者が時価より著しく低い価格で株式を取得すれば、後継者側に贈与税の問題が生じる可能性があります。
また、税務上の時価を算定しても、それだけで実際の売買価格が決まるわけではありません。
設立時の価格で売買できるかを判断するには、現在の税務上の時価と経済価値を確認し、売買株式数、取引後の持株割合、支払条件及び事業承継の目的を踏まえて検討する必要があります。
そして、最終的に採用した価格だけでなく、比較した価格、採用しなかった理由及び判断過程を資料として残すことが重要です。
※本記事は、個人である創業者から個人である後継者へ株式を売却する一般化したケースです。買主が法人である場合、発行会社が自己株式として取得する場合、株式を贈与する場合その他の取引では、課税関係が異なります。実際の税務上の時価、経済価値、売買価格及び課税関係は、当事者、株主構成、持株割合、取引目的その他の事情に応じて個別に確認する必要があります。
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